あらためまして、松下 美穂です。
昨年よりキレイデザイン、今年はライフステージサポートプログラムでコーチングの勉強をし、感情曲線というものを知りました。
つまり、自分の人生を感情で表すということです。
感情を出すことが苦手な私ですが、あえて挑戦。
誕生から現在まで、封印したいこともあるけれど、自分の人生を書いてみたくなりました。
( )内の色は、年・月・日のリズムカラーです。

1975年3月16日生まれ
(O/I/Y)

2歳半の頃に弟が誕生
(RO/B/I)
夜勤交代制の父(当時)と看護師の母、祖母、父の妹、弟の7人家族で、両親が共働きでも叔母、叔父がいたので楽しかったです☺
ですが弟が生まれ、日中は祖母と3人。
祖母は高齢でしたので、小さい子供2人の面倒を見るのは・・・
となり、私は母が勤めていた病院の保育園に預けられるようになるのですが、なんせ人見知りが激しく、保育園にも「行きたくない‼」となり、自宅で祖母と弟と過ごしていました。

4歳ぐらいになった頃、病院の保育園に復帰。
なぜ、復帰させられたのか?
おそらく、私が3歳半ぐらいに父が職場の推薦を受け、市議会議員の選挙に出るようになったからだと思います。
←その時、リーフレットに使われた写真です。
近所の人や両親の会社の人、たくさんの人が出入りしていました。
近所のおばさんたちがいるのは、嬉しいし楽しかったですが、人見知りは、相変わらずです。
子ども心に、家族でいる時の顔と外へ出た時の顔。
つまり、世間の目を気にするような子どもに育ったなという気がします。
いじめられ、本当の自分が出せなかったです。
そういうこともあり、地元の幼稚園、小学校へ入学(Y/P/RO)も、当時の写真を見るのも嫌なぐらい良い思い出はないです💦

中学校になっても、町内から集まって私の学年は人数が多く、馴染めませんでした。
高校へ上がっても、高校デビューとか言われましたが、自分から変わろうと思ったきっかけはありました。
それは「想い」のところにも書かせていただいていますが、
従姉が中学校の教師をしていました。高校は県下から集まるので、従姉の話題で話しかけていっていました。
環境が変わったのが、一番大きかったです。
そんなこんなで、あっという間に高校も卒業し、地元の短大へ進学しました。
卒業間近の19歳の春に、なんと食道にびらんが発生!(R/RO/I)
ほっておくと、癌になり危なかったそうです。
そんな10代を過ごしました。
先にも書かせていただきましたので前後しますが、20歳になる年の1月に「阪神大震災」(RO/R/I)がありました。
私が住んでいる徳島も、結構揺れた記憶があります。
当時の私は、高校を卒業したら神戸の専門学校へ進みたかったのですが、なんなく反対され地元の短大に進みました。
その頃は、百貨店の洋服売り場で週末アルバイトをさせてもらってました。
記憶に残っているところでは、実はその日お店もお休みで、神戸へ遊びに行こうと計画していました。
ですが、早朝のこの出来事、また進学の反対など、今思うと「命を助けてもらったな」と思いました。
ちょうど、その頃は父の選挙もあったのかな・・・
叔母が、毎日実家に手伝いにきてました。
そんな時に、一人だけ神戸へ遊びに行こう!と思っていた私は若気の至り
と反省しました。